おとなも絵本を楽しもう! vol.3
シルヴァスタインの「おおきな木」
シルヴァスタインと言えば「おおきな木」を思い浮かべる方も多いと思います。シェル・シルヴァスタイン(1930-1999)は、絵本作家としてだけではなく、漫画家、イラストレーター、作詞家、シンガーソングライターとしての顔を持つ多彩な人物です。グラミー賞を2度受賞していることからも、その片鱗がうかがえます。
「おおきな木」は1964年にアメリカで発表された後、多くの言語で翻訳され、発行部数は1000万部近くと言われ、今でも世界中で読み継がれているロングセラーです。日本では1976年に本田錦一郎訳で出版され、その時には「3歳から老人までの絵本」と記されていました。原書のタイトルは「The Giving Tree」ですから、直訳すれば「与える木」、内容からすると「与え続ける木」と言ってもよいと思います。2010年に村上春樹が新訳を出した時もタイトルはそのままでしたので、「おおきな木」は名訳と言えるのかもしれません。
ただし本田訳と村上訳では、その趣はかなり異なります。原書では木のことを「she」と呼んでいます。それを本田訳では女性であることをあまり感じさせませんが、村上訳では木は母親を強くイメージさせる言葉使いになっているのです。またラストの一つ前で、木が全てを与え尽して切り株だけになった時に、原書には「but not really」と記されています。それを本田訳は「だけどそれはほんとかな」と疑問符で、村上訳は「(しあわせに…)なんてなれませんよね」と断定的に表しています。それまで与え続けた木は、ずっと「tree was happy」であったのが、ここで初めて否定されるのです。しかし年老いて疲れ切った男の子に、切り株になった木が、腰掛けるように促す最後の場面では「tree was happy」で終わっています。どちらの訳もそれぞれの良さがありますが、最終的には見返りを求めない無償の愛で締めくくられているのです。残念ながら本田訳は現在入手するのが難しいですが、図書館には置いてあると思います。2つの訳を読み比べてみるのもおもしろいでしょう。
この作品は出版された当初から話題になり、様々な解釈がなされてきました。余りに身勝手で自分本位な男を受け入れているのは、甘えを増長させるとか、ジェンダーの立場から、母親に犠牲を押し付けているのではないかという批判もありました。しかしこの本は日本語のタイトルのように、もっと大きな意味で捉えた方がよいのかもしれません。哲学的に難しく考えることもないように思います。与える側と受ける側の関係を純粋に受け入れてみると、見えてくるものがあるのではないでしょうか。長い人生の折々にこの作品に触れた時に、読む側の状況によって、感じ方が変わることもあるでしょう。しかし読み手がどこかで、この大いなる愛を感じているからこそ、これほど長く読み継がれてきたのだと思われます。いつも手元に置いておいて、節目節目に紐解いてみたくなる一冊です。
(吉井康文)
「おおきな木」(シェル・シルヴァスタイン作 本田錦一郎訳 篠崎書林)
「おおきな木」(シェル・シルヴァスタイン作 村上春樹訳 あすなろ書房)