日常のすぐ傍に大きな畑がある、
人と人、人と社会がつながっていく保育園
平賀悦子 :
私は実家がお寺で、三人兄弟の末っ子として育ちました。家族だけでなくいつもいろんな方々が家にいる環境でした。おばあちゃんのお茶飲みの中に入ったり、とにかく人と関わることが好きで、今から振り返るとそれが自分の原点になっているような気がします。
幼少期の夢は総理大臣やアナウンサーでしたが、成長するにつれて自分の特性を知るようになり、より人と関わることができる、人と繋がれる仕事に目を向けるようになりました。
最初に勤務したのは、児童養護施設でしたが、そこで出会ったこどもたちの境遇は自分が育ってきた環境と異なっていて、そのことに衝撃を受けたことを覚えています。様々な事情で親と暮らせないこどもたちもいて、彼らに寄り添い理解しようと奮闘していたのですが、次第に自分を追い込んでしまって、仕事とプライベートの線引きができなくなっていきました。感情移入をして心がついていかなくなってしまい、3年で退職することになりました。
それからしばらくはその後の生き方を模索していたのですが、京都の龍谷大学に入学しました。実家がお寺ということもあって、仏教系の大学で社会福祉の勉強をして、ご縁あって僧侶の資格も取得することが出来ました。おそらく人生で一番楽しく勉強に励んだと思います。
濱田和人 :
大学での学びはなぜ楽しいと感じたのですか?
平賀悦子 :
世の中に出てさまざまなことを感じた後の勉学だったので、自分ごととして、積極的に学びたいという姿勢が大きかったと思います。また、自分の意見も言語化できるようになっていたことも大きいかもしれません。小さな頃はなぜ学ぶかがわからないことが多く、受け身の学びが多いと思うのですが、一度社会に出ると、痛みと共に本当に自分に必要なものや足りないものが明瞭に見えてくるのだと思います。
その後、大学を卒業してから京都に残ることも考えたのですが、花巻でご縁のあった保育園の園長先生からお誘いを受けたことや、当時はお付き合いしていた現夫が花巻にいることもあって、地元に戻って保育士として働くことにしました。
それから20年間ほど保育士として働きましたが、昨年退職をして現在は保育士は非常勤として保育には関わっています。しかし、最終的には、夫と一緒に本格的に何かやりたいと考えて、やはり保育園かなと思ったのがつい最近のことでした。漠然とイメージを膨らませながら何から始めるのかを模索していた時に、埼玉で循環型農業『いまここファーム』を運営されている江守敦史さんから、みんなのみらい計画さんの『星山こどもVillage』と『星山えほんの森保育園』プロジェクトの話をお聞きしました。
濱田和人 :
江守さんにお会いしたのは、『いまここファーム』へ見学に行った時でした。そこでは視覚障害者の方が働くことができる、コーヒーの焙煎のための畑がありました。最初は、視覚障害者の方と畑が結びつきませんでしたが、「目が見えないとどうしてもインドアになってしまうけれども、畑に出て裸足で土の上を歩くだけでも全然違う」と江守さんがその意図を教えてくれました。地域の方も水をあげにきたり、入れ替わり立ち替わりで、人が集まる場所にデザインされているのが印象深かった。また、畑の近くには無人の直売所があって、社会のシステムをある種体感できるようになっていることにも感銘を受けました。畑を通じて世界の一旦に触れられることができるのは本当に素晴らしいことです。
こうした体験から、「保育の傍に大きな畑がある、人と人、人と社会がつながっていく保育園」というアイデアが浮かびました。江守さんから平賀夫妻をご紹介していただいた経緯にはそのような背景があります。
ガッツさんは長い就農経験がありますが、『ファームプラス』を立ち上げたきっかけは何だったのでしょうか?
平賀恒樹 :
私は花巻市内の洋服店勤務を経て専業農家として就農し、その後、採れた野菜を使ったカフェ『ファームプラス』を開店しました。専業農家の時は、農協に野菜を大量に出荷するスタイルで、一日が農作業だけで終わってしまう日々が多かったです。そのような働き方に疑問を感じている時に、現在の『ファームプラス』がある空き物件に出会いました。こどもたちの成長とともにそれまでの住宅が手狭になったこと、実家の畑からも近いこと、以前から漠然と開きたかった飲食店にも十分なスペースがあったことも重なって、新しい暮らし方、働き方に挑戦できると思ったのです。
濱田和人 :
農業を始めようと思ったきっかけや原体験はありますか?
平賀恒樹 :
実家は農家で田んぼがあり、小さな頃から農作業を身近で見ていました。田んぼの近くで遊んだり、お菓子を食べたり、良い思い出が多く、漠然とした憧れのようなものがあります。しかし、成長し大人になっていく過程で、農業を仕事として選択する人は周りにいませんでした。親に聞いても否定的な反応だったので、農業で食べていくのは難しいのだろうなと感じていました。
大きく心が動いたのは、農業のアルバイトをしていた時、その勤務していた専業農家さんから「農業やってみたら?」と言われたことです。また、実際、農家になるタイミングには、妻が背中を押してくれました。それらがなかったら専業農家として就農しなかったかもしれません。
濱田和人 :
『ファームプラス』を始めようと思ったのは何ですか?
平賀恒樹 :
元々、飲食店をやりたいという気持ちはありましたが、専業農家として野菜をつくるようになって、それらを自分で料理して提供したいと思うようになりました。その背景には、野菜を出荷すると見た目だけで判断されてしまうということもあります。不格好な野菜でも栄養価が高く、かつ美味しいものも多くあります。自分たちのお店で提供することができたら、お客さんの野菜に対する視点も変わってくるかもしれないと考えました。
「自ら育とうする力」を支える保育
みんなの居場所のような空間をつくりたい
濱田和人 :
保育園は、何かをやっているかということ以上に、どのような大人が関わっているのか、ということにほぼほぼ左右されると思っています。こどもたちにとって平賀夫妻のような面白い大人が周りにいることはとても大事なことです。幼少期の環境がお二人に大きな影響を与えたように、『星山えほんの森保育園』では面白い素敵な大人たちが周りいるような環境を目指せたらと思っています。お二人がここで大切にしたいことはどのようなことでしょうか?
平賀悦子 :
こどもも大人も「自由」であることが大切だと考えています。自分が選んで望んだことが叶う、居心地が良い環境をつくりたいですね。こどもが真ん中にいるのですが、こどもも大人もフラットな関係性で暮らせる場所。地域の人が遊びに来てリラックスして一息つける場所。理想は保育園というよりも、みんなの居場所のような空間になってほしいです。ですから、生命を守るということは絶対条件ですが、あまりルールで縛りたくないと思っています。
平賀恒樹 :
「農業」という観点では、例えば、こどもが庭で遊んでいて、ふと横を見たらトマトが育っていて、ちょっと食べてみるような、日常のすぐ傍に、当たり前のものとして畑があるイメージが良いと思っています。もちろん、農作業の時間、というある程度まとまった関わりも必要ですが、あくまで自然にこどもたちが関わっていることが理想ですね。
現代社会では一般の方と「農」はかなり離れてしまっていますが、そもそも人間の土台となる食にも関わることなので、こどもたちには当たり前のものとして、身近にあるものという感覚を持ってほしいという想いがあります。将来的に仕事として農業に就かなくとも、一緒に育ってきたという感覚で、大人になってもどこかで繋がっていることが大切だと思います。
濱田和人 :
保育園に限りませんが、現在の教育現場では卒園や卒業という形でこどもたちが一度出ていってしまうと戻ってくるのが難しいので、ここでは大人になっても戻って来れるような居場所になったら良いですね。
平賀悦子 :
故郷のような場所がいいですね。その為にも、こどもたちには、自分の想いを話せる、嫌ということや、好きということを素直に伝えられるような場所にしたいと思っています。私は幼児期はやはり身体を使って遊ぶということが大切だと考えています。水や土に触れ、自然に心を動かされながらたっぷり遊んでしっかりとした身体ができたら、心も脳も自然に発達していく。とにかく6年間思い切り遊べる環境を整えて、その中で、自分で考えて、自分で決める力を養って欲しいと思っています。『星山えほんの森保育園』では、そのようなこどもが「自ら育とうする力」を大人が支える保育を目指していきたいです。
濱田和人 :
こどもたちの嫌だという気持ちを受容できる大人たちがやはり必要ですね。現代では嫌だと言っても無理やりやらせることがほとんどですから。
平賀悦子 :
私たち大人は、こどもたちの嫌を紐解いて、どんな思いがあって嫌かを考えることが大切だと思っています。こどもたちと一緒にその背景を考える大人でいたいですね。
こどもの仲間として一緒に遊ぶ
完璧でなくても挑戦したいという気持ちを大切にしたい
平賀悦子 :
長い間、保育士として働く中で、孤立していると感じる家庭があります。子育てなどで苦しい時に相談する場所がないお母さんがいたり、お父さんも忙しかったり、コロナ禍の影響もあって、いろんな人たちとのコミュニティが薄くなった感覚があります。本当は繋がりたいけれど、方法がわからない。そういう方々の支えになりたいと思っています。
『星山えほんの森保育園』では、できる限り「お父さん」「お母さん」ではなく、親しみを込めて名前で呼び合う関係でいたいですね。こどもたちもそうですが、「お父さん」「お母さん」も素のままの関係性を築きたい。職業や立場を超えて、こどもを真ん中に子育てする仲間として風通しの良い空間にしていきたいですね。
平賀恒樹 :
農業をやってみたいというお父さんも結構いるので、悩みなどある時は農作業を対面ではなく、横並びでできたらと思っています。園長先生には言えないけれども私には言える、という悩みもあるかもしれないので、そのような空間をつくりたいです。また、園の周辺では畑や田んぼをやられている地域の方々もいるので、ご一緒にマルシェなどのイベントも開催できたら良いですね。
濱田和人 :
どのような方とご一緒に働きたいと思いますか?
平賀悦子 :
こどもに対しての想いがあり、こどもと先生という立場ではなく仲間として一緒に遊び、暮らしを作ることができる方とご一緒できたら嬉しいですね。例えば、どろんこ遊びも、大人の場合「せいの!」と覚悟のようなものが必要ですが、土とか水の気持ちよさを一緒に味わうことができる方。最初から保育士として完璧でなくても、挑戦したい、変わりたいという気持ちが大切だと思います。『星山えほんの森保育園』は一からつくっていける環境だから、こどもと一緒に成長していけたらいいですね。
濱田和人 :
大人もこどもを通じて、自分の幼少期の感覚を呼び覚まして変化していけると思います。こどもを通じてもう一度柔らかい心を取り戻し、変化していく。遊びもそうですよね。大人になると遊び方を忘れてしまうというか、本気で遊ぶのは結構難しい。
平賀恒樹 :
こども相手だからと言って全力で遊ばないとこどもに認めてもらえない感覚はありますよね。こっちが変に楽しませようとすると空回りしてしまうというか、、、こどもはただ隣にいるだけで、遊びが始まったりする。大人もそうですが、横並びの方が遊びが生まれやすいような気がします。きっと大人は知らず知らずのうちに遊び方を忘れてしまうのでしょうね。
濱田和人 :
そういう意味では遊び方も伝えていかなければいけないかもしれません。
平賀恒樹 :
自分の幼少期の感覚を呼び覚ますことができるということで言えば、私の場合は畑がそうでした。農作業をしていると、幼少期の自分に向き合えるというか、自分を取り戻すような感覚があります。『星山えほんの森保育園』に集う大人たちも、さまざまな形で自分を取り戻すような原点を発見できる場所になってほしいですね。