こどものみらいを考える – 太田歩実 / 江刺梢 / 佐々木桜子

こどものみらいを考える – 太田歩実 / 江刺梢 / 佐々木桜子

2024年08月26日

 こどもたちや子育てをする大人、それらを取り巻く環境、理想的なみらいについて考えるトークセッションプロジェクト。今回は、「モリオカえほんの森保育園」園長の太田歩実さん、「モリオカえほんの森保育園」地域コーディネーターの佐々木桜子さん、そして、系列園にて絵本の読み聞かせをしていただいている、ライター/絵本研究家の江刺梢さんの3人が参加し、幼少期の原体験から現在の活動、みらいのビジョンなど多岐に渡りお話してもらいました。

太田歩実 モリオカえほんの森保育園 園長
大学卒業後、幼稚園での勤務を経てみんなのみらい計画に入社。出会いと日々のかかわりに感謝しながら、わたしもこどもも一歩ずつを大切に過ごしています。

江刺梢 フリーランスライター/絵本研究家
絵本研究をライフワークとしています。2023年10月より、モリオカえほんの森保育園にて、セレクトした絵本をこどもたちと読む「おはなしのじかん」を開催。

佐々木桜子 モリオカえほんの森保育園 地域コーディネーター
第一子の出産をきっかけにPRを経験。その後みんなのみらい計画に地域コーディネーターとして参画。「こどもと生きる幸せ」を保育園という場としての視点と母親としての視点から模索中。

All Photo by イトウタカムネ



幼少期に出会う絵本の大切さ

─ 歩実さんはどのような幼少期を過ごされましたか?

太田歩実:
幼少期は興味や好奇心が強く、やってみたいと思ったことは何でも試してみたいこどもでした。両親が共働きで、祖父母と一緒に過ごすことが多かったです。祖母は私が悪戯をしても「全然大丈夫だよ」と言ってくれるような人で、いま振り返ると、お家に帰ると誰かがいる安心感があり、好奇心を存分に満たすことができる環境だったのだと思います。
5人兄弟の真ん中で、上の兄姉を見て学び、下の子たちの面倒を見るというポジションでした。真ん中なのですが、なぜか兄弟の中では下に見られていて、お菓子の争奪戦も負けるタイプでした 笑。従姉妹がよく家に遊びに来たり、近所の友達と時間を気にせず遊べたり、大人にとっては悪戯とも思えるようなハラハラワクワクする遊びを思いっきり楽しんで過ごせた記憶があります。そのような遊びは、祖父母が農家だったので、本物を使って遊ぶ体験ができる環境に依るところが大きいのだと思います。

─ 幼少期の立場と園長という現在の立場、全体のバランスを図っていくポジションという意味で役割が似ていますね。

太田歩実:
幼少期は誰かを優先したり我慢することが多く、ひとりっ子が良かったと思ったことが何度もありましたが、いまに活きる経験だったのかもしれません。

─ 梢さんはどのような幼少期を過ごされましたか?

江刺梢:
生まれは青森県八戸市です。弟が二人いる長女で、上の弟は3歳下、下の弟は8歳離れています。末っ子が生まれた時は可愛くて仕方がなく、たくさんお世話をした記憶があります。その頃から「お世話するのが好き」と思っていたのかもしれません。母が保育士だったことが影響しているのか、真面目な性格で学校でも内申点が高い優等生でした。しかし、いまにして思えば、我慢をしたり、無理をしていたのだと思います。

─ 生まれ育った八戸はどのような環境でしたか?

江刺梢:
八戸は海側と山側で文化が全然違うのですが、私の実家は山側で海まで車で45分くらいかかる場所でした。高台に家があって窓から海が見えるのですが、その景色が凄く好きでした。家のすぐ目の前に小学校があったので、校庭は私の庭だと本気で思っていました 笑。

─ 桜子さんはどのような幼少期を過ごしましたか?

佐々木桜子:
私は祖父母と両親、兄弟4人の8人家族の中で育ちました。兄弟は12歳上の兄、10歳上の2番目の兄、8歳上の姉、そして末っ子の私の4人兄弟です。私は怒られた記憶の方が強く残っているのですが、兄姉から可愛がられていたと聞いています。
両親は共働きで、祖母は主に農業をしていたので、保育園が休みの日はいつも祖母と一緒にいました。畑作業の傍で草花のおままごとをしたり、老人クラブについていったり、就寝前には祖母の昔話を聴きながら眠りに落ちていた記憶もあります。
末っ子でしたし、従姉妹もたくさんいたので、服やおもちゃ、絵本などお下がりが多かったです。だからどこか自分のものではないという感覚がいつもありました。そのせいか外で遊ぶことが多かったように思います。しかし、絵本は、母と二人で病院に行った帰りに、私だけに買ってくれたものが何冊かあって、いまでも特別なものという感覚があります。

─ 絵本の内容もさることながら、どのような状況で、どのようにして出会うのかが大切ですよね。具体的に原体験として記憶に残っている絵本はありますか?

佐々木桜子:
私は酒井駒子さんの絵本「よるくま」の記憶が残っています。幼少期も現在も、私にとって母は誰にも代替できない存在です。自分が母親になってからよく理解したことなのですが、働きながら子育てする中で、こども4人に平等に愛情を注ぐことはとても難しいことです。末っ子だから、他の兄弟に比べると、幼少期の写真の量が少なかったり、お下がりが多くなるのも自然の流れだったといまでは納得することができます。しかし、幼少期の私はもっと自分を見て欲しかった。そのような私の為に母が買ってくれた絵本「よるくま」は、小さな男の子が、夜のように黒いクマのこどもと一緒にその母親を探しにいく物語でした。母が見つからない間の寂しさと、発見した時の嬉しさ、抱っこされて眠りにつく時に明日のことを想像する幸福感。それらが夢と現実の狭間の中で展開されていきます。すべてが当時の私の気持ちとぴったり重なって、現実と夢をつないでくれるような内容でした。母がどこまで考えてプレゼントしてくれたのかわかりませんが、”私のためだけに買ってくれたもの”という意識が「よるくま」を特別な絵本にしているのだと思います。

─ 時代的には所有よりも共有という流れに社会全体がシフトしているように思いますが、幼少期には、自分だけのもの、自分の為だけに何かをしてもらうという体験が大切なのかもしれないとお聞きして感じました。歩実さんは記憶に残っている絵本はありますか?

太田歩実:
私は恥ずかしながら幼い頃は絵本をあまり読まないこどもだったと親から聞かされていますが、ふと思い出したのが「ティモシーとサラのおくりもの」というクリスマスの絵本です。私も桜子さんと同じように母親からプレゼントされた記憶があります。5人兄弟だったので読み聞かせをゆっくりする時間は皆無でした。親から子への読み聞かせよりも、子から子へ読み聞かせる記憶の方が強いかもしれません。数ある絵本の中から選び、自分で考えた好きなストーリーを、下の子に読み聞かせて寝る喜びも記憶に残っています。それが自分だけのものとして時別に感じていたのかもしれません。

江刺梢:
私は母が保育士だったこともあり、年間購読で購入していて、絵本が潤沢にある環境で育ちました。私の原体験として印象に残っている絵本は、林明子さんの「おつきさまこんばんは」です。たくさん読んでもらっていたので、もう内容も覚えてしまって、毎晩のように自分で読むショーを行っていたビデオが残っています。まだプクプクの小さい手で「おつきさまこんばんは」の絵本をめくる映像で、その印象が強いです。まだ字は読めないけれども、誦じれるぐらい好きだったのだと思います。




そのままの自分でいいと思える場所

─ 現在に至るまでどのような道を歩んできましたか?

太田歩実:
小さな頃はパイロットやCAに憧れていたのですが、兄弟が医療系の大学や関東の大学に進学するのを見て、家庭の経済的な観点から、私は欲を出せないと思っていました。私は幼少期の頃からなぜかこどもに好かれることが多く、自身もこども心をもったまま大人になったような気がしているので、自然とこどもと関わる仕事ならできそうだと思いました。そこで教育の道を選び、小学校教員免許と幼稚園教諭免許を取得しました。大学在学中から、北欧の暮らしや教育に憧れ、園舎を持たずにこどもたちがやりたいことをとことんやるという理念を掲げた「森のようちえん」に興味を持ち、卒業が近づいてきた時期にボランティアとして志願して働かせてもらいました。周囲が木に囲まれた80年ぐらい続く古い園舎の幼稚園を見て、「近い将来、私はここにいるかもしれない」と勝手に想像したのです。結局そのまま正社員として働きました。ここでは、一人ひとりの気持ちに寄り添って関わることの大切さをより感じました。その後、夫の転勤で一緒に盛岡に移り住むタイミングで、「モリオカえほんの森保育園」に職員として入らせていただきました。その時も「近い将来、私はここにいるかもしれない」という謎の運命を感じました。会社の理念が自分の大事にしていることや挑戦したいことに合致していたのです。幼少期にはあまり絵本を読まなかったのですが、大学生時代に絵本に対する興味関心が開花して、幼少期に体験したような、親の目を少し離れて自分で遊びを構成していく楽しさだったり、ゆっくり流れていく時間を少しでもこどもたちに体験して欲しいと思いながら現在奮闘中です。

江刺梢:
私は、理数系や経済がとにかく苦手で、反対に国語や英語が得意だったので、教育の道を選びました。もちろん、こどもが好きということもその道に進んだ大きな理由のひとつです。しかし、大学で教育実習など専門的な学びを受けても、自分が先生になる姿が全く想像できませんでした。転機となったのは、教育実習先で「物腰の柔らかさが3歳児クラスに合っていました」という評価をいただいたことです。それまで自身を「頑張る・しっかり・気が強い」というイメージで捉えていましたが、新たな側面を知る契機になりました。大学卒業のタイミングで東日本大震災が起こり、卒業式も中止になって、なし崩し的に幼稚園に就職しました。幼稚園では6年半くらい、その後、学童や児童センターで4年間ほど働きましたので、約10年半くらいはこどもに関わる仕事をしてきました。
しかし、所属していた園の経営理念と、私が大切にしたいことに大きなズレを感じて、退職することにしました。こどもたちと過ごした時間は本当に楽しく、親御さんや同僚にも恵まれていたのですが、大きな組織でしたから個人の力で変えていくにはどうしても限界があると感じたのです。その後、自身を見つめ直した時、「書く」ということが浮かんできて、現在、フリーランスライターとして活動しています。

─ こどもに関わらない執筆もされていると思うんですが、こうして一巡することで掛け算になっていますね。

江刺梢:
別件で大学生に向けて制作しているコンテンツがあるのですが、これまで学んできた人間の基本である幼児への視点、こども教育で培った感覚が活きているように感じています。以前、保育園に勤めていた頃、「私は先生としてではない立場で関わりたい」と伝えたことがあります。恐れ多いし物知らずだったんですが、いまそれが叶っています。図らずともこのような形で、みんなのみらい計画さんの保育園で絵本の読み聞かせなどで関わらせていただき、こどもたちから「こっちゃん」と呼んでもらえて嬉しい限りです。

佐々木桜子:
私は部活動に専念することだけを考えて進学したので、高校3年生になった時、その先の未来を全く考えられませんでした。いざ進路を選ばなければいけない局面になった時も、商業科でそれなりに資格を取っていたことと、担任の先生や両親に勧められて事務の仕事を選びました。
転機になったのは、その職場に勤めて3年ぐらい経った頃、プライベートで人生を変えるお店との出会いでした。そのお店は急に現代アートの展示やトークイベントが始まるような変わった服屋さんでした。商品のセレクト、店の哲学、経営しているご夫婦の人柄も含めて好きで、お手伝いをさせて欲しいと頼み込んで、仕事の無い週末限定でインターンをさせていただきました。週5日事務をして、週末2日インターンをする生活を半年くらい行った後、いよいよ事務をしている自分に耐えられなくなって、そのお店に雇っていただきました。このお店の店主はすごく愛情深い人で、「君がこの店から巣立つことはわかっているけど、どこへ行っても通用できる大人にする」と言って、実の娘のように可愛がってくれました。
本来であれば長くこのお店で働きたかったのですが、しばらく経った後、長女を授かりました。望んだタイミングではなかったので、妊娠がわかった時は本当に身勝手ですが、今後の人生が狭まる気がして、出産しないという選択肢も真剣に考えました。しかし、様々な人に相談した上で、最後には自分でよく考えて産む決断をしました。出産すると決心してからも心の中では葛藤が続きましたが、悪阻が酷く接客でも失敗してしまい、結局、そのお店を辞めざるを得なくなってしまいました。当時の私はまだまだこどもで、大切に思っていたお店もそのご夫婦も傷つけて自分を守ることしかできませんでした。

─ その後、こどもに関わる仕事を選んだのはなぜでしょうか?

佐々木桜子:
こどもに関わる仕事をするとは考えてもいなかったのですが、辛い出産を体験し、紫波町で子育てをする中で、みらいのことを真剣に考えるようになりました。こどもたちのみらいが明るいものであって欲しいとそう思うようになったのです。みんなのみらい計画に参画させていただいたのは、会社のビジョンと私のビジョンに重なる部分が多く、会社の理念の達成が私たちの幸せにつながると考えたからです。私たち家族が幸せになるためには、私たちだけの幸せを考えていては叶えられない。国や地方自治体の制度は簡単に変えることはできませんが、同じようなビジョンをもつ人々が集まり、小さな規模から変えていくことこそが近道だと思っています。
私は保育の経験がないので、リアルな保育現場を体験し、こどもたちや周辺の大人たちと関わりたいと考えました。その中で産後、地域に根差したPRやイベント企画の仕事をした経験から、保育園と家庭と地域をつなげる「地域コーディネーター」として、現在は「モリオカえほんの森保育園」で活動しています。普段は保育補助をしながら、周辺の「ビバテラス」の方々にご協力いただき、南部鉄器の工房見学をさせていただいたり、春にはビバ農園で野菜を植え、夏から秋にかけて多くの収穫も経験させていただきました。冬には卒園制作としてホームスパンのブローチ作りも予定しています。このような「ビバテラス」の方々との交流を通じて、こどもたちの世界が少し広がったような気がしています。今後はこどもたちのパワーを元気の源として、地域に還元していけたら嬉しいです。

太田歩実:
今年から「モリオカえほんの森保育園」の園長に就任させていただいたタイミングで桜子さんが来てくださって、一緒に「ビバテラス」の方々との交流の機会を何度か設けさせていただきました。「ビバテラス」は南部鉄器の職人から飲食店まで、ここだからこそ関われる大人たちが多くいます。これを契機に地域の方々と一緒に育ち合える関係性を築けていけたらと思っています。また、2023年には「モリオカえほんの森保育園」でこども食堂を始めました。この活動を通じて、保育園が地域にとって帰って来れる場所であったり、「そのままの自分でいいんだ」と思える場所になっていけたらと思っています。ただの保育園ではなく、みんなが助け合える場所になることが理想です。

─ 実際の保育のお話も聞かせてください。みんなのみらい保育園では大きな行事がなく、日常の暮らしを大切にされていますよね。目指していることはどのような保育なのでしょうか?

太田歩実:
行事があると目に見える成長があると思います。行事のタイミングで保育者も保護者の方も達成感や充実感があって、できるようになったことを感じることができます。行事がない場合は、大きな成長を感じるタイミングは減るかもしれませんが、その反面、日常生活に目が向けられるようになり、些細な変化に気づくことができます。こどもたちに求めることはそれで十分だと私は考えています。「できた!嬉しい!」と思えるひとつひとつの小さな積み重ねを大切に、他者を許容したり、感謝できる場所にしていきたい。
こどもが自分らしくいていいと思える根拠のない自信をもとに、知能を高めることだけではなく、幼少期に多くの経験を積むことが大切だと感じています。私自身も幼少期に体験したことが、いま自分らしく活かせていると思っています。どの子も必ずやってくるそのタイミングの為に、私たちの園ではこどもたちの体験や挑戦できる環境を整えていきたいです。




優しくされた分を誰かに返せる循環を生み出す

─ 現在の活動と、これからのみらいについて教えてください。

江刺梢:
現在は週に一度、保育園で絵本の読み聞かせをしています。絵本について書かれた書籍を読むことも大好きなのですが、やはり生の声には絶対に敵いません。何かにつながることを目的にしている訳ではありませんが、絵本を読み聞かせることで、漏れたこどもたちの言葉は副産物だと捉えています。もちろん、あってもなくても構わないのですが、受け取れた時の喜びは言葉にすることができないものです!
私はこどもに接する時、大前提として大人は絶対的に幸せであることが大切だと考えています。以前、幼稚園に勤めていた時は、プライベートの時間がほとんどなく、行事や制作物に追われて余裕がない先生も多くいました。生きることが辛いと考える先生と一緒に過ごすより、幸せだと感じながら生きている大人の傍にいた方がこどもにも良い影響があると思います。私も幸せな状態を保って、こどもたちに関わっていきたいです。

佐々木桜子:
2023年の春から保育園に入って1番感じたことは先生たちの素晴らしさです。きっと現場にいるからこそ強く感じることだと思いますが、親のように愛情をもって、親と同じくらいこどものことを考えて、見守り、悩み、葛藤している大人がいることを知りました。子育てはどこか孤独感があるような気がしていましたが、そのような頼もしい存在が社会にはいるということを嬉しく感じました。
私の活動としては保育のアシスタントをしながら、春から歩美さんと一緒に地域コーディネーター通信「どんぐりだより」を制作しています。「どんぐりだより」は、預けてからお迎えまでどのようにこどもが1日を過ごしているかを知っていただきたく、保育園の日常や、どのようなことを大切にしているかを配信しています。まだまだ実現できていませんが、今後は地域の方々にも「モリオカえほんの森保育園」がどのようなパーソナリティを持っているのか知っていただく為、このお便りをよりオープンなものにしていきたいと考えています。
また、2024年春には、岩手県紫波町で開所する「星山えほんの森保育園」へ異動する予定ですが、「モリオカえほんの森保育園」での経験を活かして、園同士のつながりをつくっていきたいと思っています。先日、「みんなのみらい青山園」にお邪魔させていただく機会がありました。「みんなのみらい青山園」は住宅地にある一軒家で、第2のお家のような家庭的なあたたかさと、小規模園ならではの保育者とこどもとの距離感の近さ、ご近所さんとの密接な関係性を感じました。「モリオカえほんの森保育園」とはまた異なったパーソナリティーがあり魅力的でした。みんなのみらい計画の系列園が各々どのようなパーソナリティを持ち、何を大切にしているのかが見えてくれば、あらためて私たちの園の魅力や気づきが浮かび上がり、良い効果が生まれるのではないかと思っています。

─ みんなのみらい計画は系列園が多いので、そのような横のつながりを生み出せる人は重要かもしれませんね。

江刺梢:
私は良い意味でカルチャーショックでした。一般的に保育園は閉鎖的なイメージがあるのですが、みんなのみらい計画さんは非常にオープンです。保育の経験がない人が関わるからこそ、みらいを変える力が生まれるような気がします。

太田歩実:
様々な分野の方が加われば加わるほど、良いシナジーが生まれそうですよね。その輪の中に保護者の方も巻き込んでいきたいと思っています。桜子さんのように内と外、横をつなげる人がいると、保育業界の当たり前に新しい視点が生まれると実感しています。

佐々木桜子:
私は保育士の眼というのは特別な能力だと思っています。こどもたちと過ごすための環境設定や予測能力など、やはりその道の専門家です。その眼の凄さを感じられるタイミングは、実際、保育園の内側にいないと気づかないことです。そのような能力が保育園の外で必要とされた時、より保育士さんは重宝されるのではないでしょうか。その力をもつ人と必要としている人が上手くマッチングできればいいですよね。

─ 確かに保育士さんの能力が保育園だけに限らず外で発揮されたら、社会に新しい風が吹きそうですね。では最後に、数十年後のみらいの世界、社会がどのようになったらこどもたちが幸せに生きていけるのか、思い描いていることがあれば教えてください。

江刺梢:
全国図書館大会に行った時に、AIと本とこどもの関係性についての講演がありました。講演されていた先生は「AIには本が必要ない」と言い切っている方で、その理由はマーカーを引いたり戻ったりノートに書いたりする体験がAIにはできないからということでした。これからますます人にしかできない仕事が減っていくと言われていますが、人にしか出せない体温の部分は失いたくないと思っています。私は書くことが仕事ですし、絵本も大好きなので人の手でつくられた紙物は守りたいです。

─ 2024年に開館される、こども図書館「みどりのゆび」の理想的なイメージはありますか?

江刺梢:
本に囲まれて暮らすことが夢でしたので、そのような空間が盛岡にできること自体が幸せだと思います。何をするでもなく、疲れたと感じた時に訪れるような場所になったら素敵ですね。また、好きなものが多い方が生きやすいと思うので、こども図書館「みどりのゆび」を通じて、良い出会いを生み出せたらと思っています。

─ 本は人間が紡いできた過去の知識や知恵、その時代に生じた感情へアクセスできるので、過去・現在・未来をつないでいくものでもあると思っています。そのような意味で、こども図書館「みどりのゆび」は、いま生きている人はもちろんのこと、みらいのこどもたちへ、私たちから手渡せる場所でもありますね。歩実さんが考える理想のみらい像はどのようなものでしょうか?

太田歩実:
保育園で「そのままの自分でいい」と言われて育ったその先に、カリキュラムがある学校で苦しくなってしまうのは想像に難くありません。学校自体を変えていく努力はもちろんのことですが、まず私たちができることとして、苦しくなった時の居場所をつくってあげたいと思っています。人生必ず山あり谷ありの中で、「それでも大丈夫」と信じられる力を生み出す、誰もが戻れる場所。そのような場所が増えていくと平和にもつながっていくのかもしれません。

─ 「みんなのみらい保育園」も、「みどりのゆび」も、「星山こどもVILLAGE」も、いつでも戻れる場所になれたらいいですね。

太田歩実:
優しくされた分を誰かに返せる循環を生み出していけたらいいですね。

佐々木桜子:
私はいま保育園の中にいますが、後々、また一歩外に出たいと思っています。ざっくり言うと、誰でも訪れることができる場所をつくりたいです。安心感がありつつも、こども要素が強くなり過ぎない場所。小さなこどもと暮らしていると、ごはんを作って食べる、食べ物を畑で収穫する、お掃除をするなど、生きるために必要な営みを、こどもは遊びとして行う場面が多いと感じています。そのような生活を家族以外の誰かと共有できる場所があったら素敵だと思います。こども食堂やフリースクールを名乗らない、それでも日常を共にすることができる、”ただの場所”がつくれたら嬉しいです。

江刺梢:
みらいは現在よりも、原始的になっていくような感覚があります。足し算ではなく、引き算が行われていく。例えば、健康は何かを足して健康になるのではなく、風邪が治ってありのままになった状態が健康です。みらいにおいても、削ぎ落としていくことで大切なものが見えてくるような気がします。

   
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